やる気が起きない
やる気が起きない。
やらなければいけないことも、やりたいことも。
結婚生活は、相変わらず、終わってて、旦那とは口も聞かないし、なるべく別の空間にいることが暗黙の了解になっている。
存在を感じるとリラックス出来ないし、別の部屋にいたって、緊張してくる。
こわいし、つらい。
別れたほうが良い。
離れたほうが良い。
こどもの生育に良くない。
わかっている。わかっている。でもこわい。失いたくない。何を?
この社会で生きていくために、なるべく傷つかずに生きるためのカードが。
私は人生に何を得ようとしてきたのだろうか。
まずは、何が必要なのかもわからなかった。
どういう仕組みなのか、ルールなのか、知らなかった。
気が付いた時には、大分出遅れていた。
人並みに生きられるカードをまずは手に入れないと、
普通の人生さえ生きれない。
それなりのお金、それなりの名刺、それなりの友人、それなりの家族。
それなりの過去。
それでやっとそれなり。
誰が決めたルールなのかわからないが、大体のひとがこのルールを守っていて、
それぞれ苦しいぐらい謙虚に生きている。
なんでだろうな。
でも、このルールを守っている人と友達になるためには、
自分もこのルールを守るか、守っているふりをしないといけない。
ひとは、すぐ不安になる生き物だ。
すぐ、さみしくなる。
だから、ルールを守りますと発表し、守らないやつを排除する。
大体みんな苦しい。
資本主義は経済だけじゃない。
幸福もいつのまにかそうだ。
愛や平和、将来の保証などの安心感、寿命、欲望をみたすもの。
すべて一部に集約されていることを知っていますか?
ほどんどのひとは気が付いている。
だから、せめて1.0を目指すんだ。
ひとひとりが当たり前に受けとるはずの幸福量を目指す。
1.0は目指さないととれないものになった。
持たざる者にとって。
金はもっているところ集まる。
人もたくさんいるところに集まる。
愛も、幸福も、同じだ。
情報をつなげたのは誰のため?
それによって、金と同じく、奪うものと奪われるものが生まれている。
わかっているのに、そこだけ、見ないふりをしても堂々と善人ぶってOKのルール。
いったん奪われる側に立つと、掃除機のように色んなものを吸い取られ、
デフレのように、加速していく。
1.0の無風を維持しないと、0.9、0.8と奪われる曲線は次第にきついカーブになって、自力では立っていられないほどに。
もちろん、奪う側のカーブもそうだ。
もういらないって思っても勝手にどんどん集まってくる数値が存在している。
ある数値から登ること自体がエスカレーターのようになる場所がある。
私は1.0を失くして、せめて風を防ぐために、1.0がある風を装って、攻撃を避けている。わたしの数値はいくつだろう。
それを1.0にするのが、その作業がとてもしんどくて、1.5とかもうないのかなとか、考えたくなくて、しんどい。やる気が起きない。