こわい。
この連休は、旦那と顔を合わさないために、一日ずつ交代で子供たちといっしょに過ごす日、とそうでない日を作ることにした。
先週は、2日ともわたしが子供たちと過ごした。
というか、大抵そうだ。
昔は疲れ切っていて、休みくらい、少し休みたいと、一人で過ごす時間が欲しいとか思っていたが、こどもたちも言ってることを理解できる年齢になり、いっしょに遊べることも増えてきたことや、幼稚園に行っている間わたしの一人時間が確保できることなどから、土日に休みたい願望はとても薄くなっていった。
だから、別に子供と過ごす日とそうでない日を必ずしも交互にする必要はない。
それに。
旦那は、子供への怒り方がこわい。
口を出さないのが暗黙のルールだけど、これは、間接的にこどもを見捨てていることには、旦那がこわいから、言えないという子供が犠牲になるパターンを強いていないか、そういう思いが頭を過ぎる。
閉じられた世界のなかで、何が正しいのかわからないままで、恐怖だけが胸を抉る。
何が正しいのか、わからないじゃないか。
その正論とともに我が身を殻に閉じ込める。
かみさま、私にエネルギーをください。
私はこの世界を幸せに感じて生きていくことができるでしょうか。
さっさと食え。さっさと食べろ。
こどもに発する声の質ではないことを彼は気が付いてはいないのだろうか。
その声色で、外の世界の誰かに、また会うことのある人に、知り合いの知り合いに、
怒鳴る自分を、想像してみて?
こどもは、逆らわないよ。
逃げれないよ。
嫌いにならないよ。
それは、ずるいよ。
私は、あなたの、そういうところが大嫌いです。
結婚したけれど、いまは正直心の底から軽蔑しています。
大企業で働いていても、学歴が高くても、ギャンブルをしなくても、
生まれた家の家族と仲が良くても、友達がたくさんいても。
こどもが好きだと言った。
こどもが大切だと言った。
でも、あなたは、そういう人間じゃない。実際にそうじゃないじゃないか。
そういう人間になりたかっただろうし、
そういう人間であると外の人間に知らしめたかっただけで、
あなたはそういう人間じゃなかった。
あなたがこわい。
過去に何度か、私に暴力をふるった。
そのことも、結局向き合わずに、暴力ではないと、処理をした。
いままでも、きっと、ぜんぶそうだったんだろうね。
過呼吸になって動けなくなった私に死ねと言った。
はやく死ねよと罵った。
私はどこにも逃げる場所がなかった。
わたしは思う。
いまも扉の向こうで私を攻め立てている彼を、
きっと彼は、自分ではないことにするのだろう。
私は自分の価値を最大限使ってしまっていて、
もう自分は残りかすだと思っているところがあって、
それは他人の誰かにとっての事実ではあるけれど、
じぶんがその考えになることはないはずなのに、
囚われて身動きがとれない。
だって誰も老人なんかになりたくない。
私は日々感じる予想以上の老化が私を不安にさせる。
結婚は、その将来の不安を取り除く精神安定剤だったから。
死ぬことを、老人に、美しくない弱者になっていくことを、
忘れて生きるための、宗教だったから。
うっすい希望だったなあ。
信じるものを失くした私は、日々恐怖しか感じない。
生きたい、わくわくする、なんて思えない。
ただただ寿命が残っている生物だ。
美しくもない、新しくもない、この命の使い道がわからない。
途中で死ぬ気はないのに、生きる勇気も希望もない。
とにかくほおっておくと、悲観的に考える私の脳みそ。
身体も肩がガチガチだよ。口角も下がっているよ。
眉間にふかーいしわが刻まれているよ。
はきだそう。