夫のモラハラにより傷ついた心と人生を立て直します。

夫のモラハラの記録と自分の人生の立て直しの記録。

モラハラエピソード1

モラハラエピソードは沢山ある。7年も結婚生活を続けているので、色々沢山ある。

でも、普段は努めて忘れるようにしている。

そんなのまともに抱えていたら、発狂するか心の病気になるか。

いや、正確には、過度の緊張による肩コリにはじまって、自律神経の乱れ、眩暈、ブラックアウト、過呼吸、原因不明のアレルギー的症状、生理周期の乱れやPMSの悪化、狭心症など、身体には影響が、かなり、出ているし、精神的に不安定になることが多くなっているから、発狂とまではいかないにしても、健康状態を確保できているとは言い難い。

 

書いてみると、ああ、中々なところまできているなと実感。。。

 

いまの自分の状況を客観的に見るためにも、つらいけれど、少しずつモラハラ夫のエピソードを書くことにする。

2018年10月

話しかけると、それだけで「死ね」「出てけ」「死ねよ」「はよ出てけよ」「しゃべりかけるな」「寄生すんな」と怒鳴られ、止まらなくなる。家具や備品などを蹴り、大きな音を立て、威嚇か脅迫。いまにも殴り掛かってきそう。実際殴り掛かってくるが、寸でのところで拳をとめ、目をひん剥き、そのまま足元にある何でも(家具や棚や傘立てや椅子やあれこれその時によって違う)を蹴り飛ばす。

こどもが見ていても関係なく暴言、怒鳴るのは、やめられないようだし、こどものために自制するという考え自体彼の中に全くないのがわかる。私がやめてと言ったり、こどもが見ていることに気が付くと、「何がやめてだ!!ふざけんな!!(ドーン!バーン!と何かを蹴る)うわあ!!ママが暴力ふるってるんだよ!!あ、痛ああっ!!」といきなり床に転がって、のたうち回ったりする。そして暴言はつづく。。。

はっきり言ってき〇がいです。

一番辛く腹正しく何とも言えない強烈に嫌な気持ちになるのは、

全く違うのに、ありえないのに、私のことを「暴力ふるった」「虐待した」と私に言ってくること。本当にぞくっとして、叫びたくなるくらい、嫌な気持ちになります。

冤罪の人のくやしいやるせない許せない気持ちがめちゃわかります。

 

夫は、モラハラの人は、外面がすごくいい。

だからこその傷つけ方なんだと思う。こんな傷つけ方普通の人は思いつきません。世界にモラルはあるけれど、彼にはモラルがない。

これがうちのモラルハラスメントです。

 

そして、モラルハラスメントの恐ろしさは家のなかに留まらないのが恐ろしいところなのです。私がほんとうのことを、夫の実態を声高に叫んだところで、世間は夫の味方をする可能性がある、いや、高い。夫は恐ろしく外面が良いので、そして社会的立場があるので(要はそれなりの学歴や職歴)、夫の発言のほうの信用力が高いということ。信用力の確保のために、外堀を埋めることも彼ら(モラハラども)は忘れません。

 

夫のことを人として最低だと、指輪を外す決心をしたのは、共通の友人から「妻がこどもをいつも怒鳴っている」等の虐待まがいの育児をしているとの印象付け、外堀固めをしていると聞かされた時です。そう、夫は何年か前「男の離婚術、弁護士が教える勝つための離婚戦略」という本を買っていました。虐待まがいのことをしているのは夫、あなたですよ。子どもの前で妻を怒鳴る、罵る、家具を蹴る投げる、大きな音を立てて脅す。それは虐待に近いんじゃあないだろうか。少なからずこどもに影響があるんじゃあないのか。それに、子どもにも直接怒鳴っていますよ。怒鳴りすぎて、自分でも自覚できなくなっているのか、第三者に見られなければなかったことに出来ると思っているのか。モラルとは一体。。。

 

モラル・ハラスメント、 社会の制裁がない場所では簡単にモラルを失ってしまう人が確かに存在する。いや、程度の差こそあれ、多くの人が家の中と外のダブルスタンダートのモラルを持っていると思う。しかし、家庭内であっても守らなければならない最低限のモラルがあると思う。家族とは一番近い他人なのだから。家庭とは一番身近な社会なのだから。

 

自分の夫がモラハラ人間であったことは、悲劇だった。自分がモラハラ被害にあうまで、言いすぎでしょう、そんな人いないでしょうと思っていた。実際モラハラにあうと信じがたい辛さを感じた。

 

私はモラハラ夫により、不幸になってたまるものか、とも思う。

負けない。絶対幸せになるんだ、と自分を奮い立たせる。

一方で、心身が不安定になり、全てから逃げたくなることもある。

カードゲームで、カス札ばかりで、勝利をしないといけない状況が頭に浮かぶ。

相手は役がある札をたくさん持っている。

この状況で勝たなければ、終わりになる、というのは、

もはやゲームではなくてただのただのリンチ、ただの脅迫。

終わりをハッピーエンドにすることなどできないが、悲惨な結末を無視することだってできるとおもう。このブログとともに立ち直りたいと思っている。